自然の国の人だから

昔(旧暦)は立春が新年の始まりであり、立春から始まる月を正月(1月)と呼び、そしてこの立春を基準に季節の節目が決められている。こうした季節の変化を“二十四節気(にじゅうしせっき)”に表すことで、私達日本人は、より自然を身近に感じ慈しんできた。

【新連載】自然の国の人だから - 二十四節気

 自然の国の人だから

今年も迎えたお正月。
昔(旧暦)は立春が新年の始まりであり、立春から始まる月を正月(1月)と呼び、
そしてこの立春を基準に季節の節目が決められている。
こうした季節の変化を“二十四節気(にじゅうしせっき)”に表すことで、
私達日本人は、より自然を身近に感じ慈しんできた。
年に1回だけの年の始まり。日本人の気持ちに立ち返ってみたら、
また違った2026年が見えてくるかもしれない。
謹賀新年。本年も、よろしくお願い申し上げます。

季節を知るための二十四節気

◆ 古代中国で考案
二十四節気二十四節気は、古代中国(2600年前)で考案され中国の戦国時代に成立した。太陽の運行(黄道:地球から見て太陽が移動する天球上の軌道)をもとに四季を更に分類した、季節の目安をいう。当時の中国では、月の運行をもとにした太陰暦が使われていた。しかし、太陰暦による日付は太陽の位置と無関係なため、暦と季節の間に誤差が生じてしまう。このため、本来の季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入された。
日本に導入されたのは江戸時代だが、中国(黄河の中・下流域)の気候に合わせているため、実際の日本の気候とはずれが生じてしまう。しかし、毎年同じ時期に同じ節気が来ること、節気の間隔(約15日)が一定していて半月ごとの季節の変化が分かりやすいことなどから、天候に左右される農耕には便利なため、日本でも重宝されるようになった。

◆ 太陰太陽暦と太陽暦の違いは
現在日本でも使用されている太陽暦(新暦)は、地球が太陽の周りを一周する長さ(1太陽年=365.242日)が基本単位。ナイル川の定期的な氾濫を利用して灌漑農業を行うようになった古代エジプト人が考え出したといわれている。
そのため、季節の変化に一致しており、農作業には適しているので、広く使われるようになった。季節の変化は分かりやすいが、月のめぐりに影響される潮の動きや動植物の変化は分わかりにくい。

一方で太陰暦は、月の運行(満ち欠け)をもとにしている。月が満月から満月になる周期(新月から新月まで=29.53日=1ヶ月)が基本単位。月の形を見れば―例えば、三日月は3日、十五夜(満月)は15日―のように今日が何日か分かるため、人類が最初にもった暦の概念でもある。
新月の日を1日として、順に2日、3日と数えていき、新月は月が新たに立つことから「つきたち」→ついたち(朔日)→一日という言葉が生まれた。太陰太陽暦は、古代中国を起源としており、7世紀に日本に伝えられた暦で、太陽と月の周期の両方を取り入れ、季節がずれないように工夫されている。太陰暦の1ヶ月(29.53日)では12ヶ月で354日となり、太陽暦の365日より11日短くなり、17年ほどすると夏と冬が逆転してしまう。そのため、32~33ヶ月に一度(19年に7回)、閏月を入れて13ヶ月とし、そのずれを解決している。また、旧暦のこと。

現在でもイスラム圏では、この太陰暦であるイスラム暦(ヒジュラ暦)が使われているが、これらの国は 四季の移り変わりがあまりないため不自由にはならないが、日本のように四季がある国にはあまり適していない。

◆ 太陽の動きを元に
ところで、太陽の動きをもとにした二十四節気は、黄道を24等分して決められている。
まず、黄道を夏至と冬至の「二至」で2等分し、更に春分と秋分で二分して4等分(「二至二分(にしにぶん)」)にした後、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立(しりゅう)」を入れて「八節」とする。そして一節(45日)を15日ずつに3等分し、二十四節気となる。更に5日ずつに3つの季節に分け、1年を72等分し、気候の変化や動植物の特徴や兆しを短い言葉で表現したものを「七十二候(しちじゅうにこう)」という。これも古代中国で考案されたもので、日本に渡ってからも気候風土に合うように、何度か改訂されてきた(現在使用されているのは1874年の『略本暦』のもの)。
また、「気候」という言葉は、「節気」と「候」の組み合わせでできている。

次回は、『気候のずれを調整するための雑節』についてお話します。