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オーストラリアの
お菓子な話
新年、あけましておめでとうございます。トーストやシリアルで始まるオーストラリアの正月に驚いた人も慣れた人も、甘い
もの三昧で食傷気味になってしまう日本のお節料理が懐かしいのではないだろうか。そこで今回は、甘さならお節にも負けな
い”オーストラリアのお菓子”を大特集。諸説ありながらも” 一応はオーストラリア発祥”といわれるお菓子全13種類を、その由
来やエピソードと共に紹介する。1月26日はオーストラリア・デーでもあることだし、”オーストラリアの甘くない歴史”を甘い
お菓子と一緒に辿ってみるのもいいかもしれない。本年もよろしくお願い申し上げます。 (編・加/写・久)
日本人にもお馴染み 日本 で は な か な か 見 か け な い 風 情 の ラ ミ ン ト ン たものとしている。しかし、もとのレシピはニュージーランドの
(Lamington)は、バニラスポンジをチョコレートソー メレンゲ・ケーキ(Meringue Cake)というデザートで、“パヴロ
アンザックビスケット スでコーティングし、ココナッツファインをまぶした ヴァ・ケーキ”という名前のデザートはサイズも小ぶりで別物と
Anzac Biscuits
ケーキ。スポンジの間にジャムやクリームをサンドしたものも のこと。ただ、1935年にパヴロヴァの型崩れ防止用リングの広
オ ーストラリアのお菓子といえば、まず最初に思い浮か
ぶ、見た目も味わいも素朴なアンザック・ビスケット ある。ココナッツの風味といいスポンジの甘さといい、まさに見 告が見付かっており、この時点で既にニュージーランドでは、パ
(Anzac Biscuits)。毎年4月25日のアンザック・デー
の頃になると、青いパッケージがスーパーなどの棚一角を占め たままの味といったところか。レシピが初めて紹介されたのは、 ヴロヴァのレシピが一般的に知られていたと思われる。
る。カリッとした歯ごたえで、噛むほどにオーツやココナッツの
香ばしさが口全体に広がってくる。材料には卵を使用せず、押し 1902年、クイーンズランド州の新聞紙上。初期のレシピにはコ 一方オーストラリアでは、1926年に出版された料理本に既に”
麦、小麦粉、ゴールデンシロップ、溶かしバターなどを使用し、栄
養価が高く、しかも傷みにくい工夫がされている。ユニビック コナッツはついていなかったとされており、当時は”ラミントン フルーツ詰めメレンゲ(Meringue with Fruit Filling)”というレ
(UNIBIC)社製のものがスーパーなどで買えるほか、手作りする
のが一般的だ。その由来は、第一次世界大戦(1914-18年)に参戦 募金活動(Lamington Drive)”と呼ばれ、主に学校や教会の寄付 シピがあり、これをヒントに1935年、パースのシェフがアフタ
したアンザック(ANZAC、Australian and New Zealand Army
Corps)兵士の妻や恋人達が、腹持ちが良くて傷みにくく、しかも 集めに作り売られていた。その名前は、クイーンズランド州のラ ヌーン・ティー向けに“アンナ・パブロヴァのごとく軽いデザー
輸送でも崩れにくい食糧として手作りし、ビリー(Billy、アルミ
製 の ア ウ ト ド ア 用 蓋 付 き 鍋 。こ れ で 作 る の が 有 名 な ビ リ ー ・ ミントン総督(1896-1901年)に由来するもので、発明したの ト”として発明したものとされている。1937年のAustralian
ティー)に入れて戦場に送ったとされている。当初は甘味がな
く、アンザック・タイル(Anzac Tiles)、またはアンザック・ウェィ は総督付きのフランス人シェフ、ガラン(Armand Galland)とい Wo m e n ʼs We e k l y 誌 に は “ パ ブ ロ ヴ ァ・ス イ ー ト ・ ケ ー キ
ファー(Anzac Wafers)と呼ばれて、パンの代用品として兵士達
に配給されていた。オリジナルはスコットランド移民によって うことで一致しているが、詳細については諸説ある。 (Pavlova Sweet Cake)”のレシピが紹介されている。
持ち込まれたスコティッシュ・ビスケットということだ。
国 内 最 初 の レ シ ピ は 、1 9 1 7 年 出 版 の T h e Wa r C h e s t まずは、総督官邸の厨房にあった大きなケーキを食べ易くす
Cookery Bookの中で“ケーキ”として紹介されたもの。現在のア
ンザック・ビスケットに近いものは同書内で“押し麦ビスケット るために同シェフが小さく切り分け、チョコレートをディップ レシピが危機に?
(Rolled Oats Biscuits)”または“兵隊のビスケット(Soldersʼ
Biscuits)”という名前で紹介されていた。その後、1921年出版の し、ココナッツをまぶしたというもの。ふたつめは、1901年に チョコレート・クラックルズ
St Andrewʼs Cookery Bookで紹介されたAnzac Crispiesが現
在のものに近いとされており、アンザック・ビスケットと呼ばれ オーストラリア連邦誕生のお祝いの際、官邸を訪れた突然の来 Chocolate Crackles
るようになるのは、有名なガリポリの戦い(ANZAC Gallipoli 客に、ガランシェフが残り物のバニラスポンジを利用して即興
Campaign、1915年-16年)以降となる。1994年、アンザック・
ビスケットの正統なレシピと形が法律で保護されることにな で作ったというもの。または、総督と側近達がクイーンズランド
り、アンザック・クッキーとしたり、アレンジを加えたものをア
ンザック・ビスケットとは呼べないことになった。そのため、そ 州西部のトゥーンバ(Toowoonba)に避暑で訪れていた際に作
れまでアンザック・ビスケットを製造・販売していたサンドイッ
チのサブウェイ(Subway)は、採算が合わないことから販売を中 ら れ 、来 客 に 振 舞 わ れ た と い う も の 。更 に は 、ガ ラ ン シ ェ フ が
止したというエピソードがある。
チョコレートの入った皿にうっかりスポンジケーキを落として
発祥には諸説ある
しまい慌てていると、そのままでは食べにくいからココナッツ
ラミントン
Lamington をまぶしてはどうかと、総督に提案されたというものだ。ただ
し、総督本人は甘いものが好きではなかったらしい。また、ココ も うひとつ、ちょっとした騒ぎがあったのが、子供絡み
ナッツは当時のヨーロッパ系のデザートには一般的ではなかっ のイベントでは定番のチョコレート・クラックルズ
たが、ガランシェフの妻がタヒチ生まれだったことから使用さ (Chocolate Crackles)。ライス・バブルとココナッツ
れるようになったともいわれている。 ファインをチョコレート味のオイルで固めたもの。カリカリサ
近年になって、オークランド大学の専門家が、ニュージーラン クサクとしていて、日本ではロングセラー商品の” チョコフレー
ドの水彩画家JRスマイス(Smythe)の1888年の作品に食べかけ ク”に似ている。子供でも簡単に作ることができバリエーション
のラミントンらしきものが描かれており、そのため、ニュージー の幅も広いことから、材料のコファ(Copha、1933年にオースト
ランドのウェリントン(Wellington)というお菓子がオリジナル ラリアで発売された、植物性油脂を原料としたショートニング)
である、との説を発表している。 の広告にそのレシピが紹介されて以来、幅広い年齢のオージー
に絶大な人気を誇ってきた。レシピが最初に紹介されたのは、
ときには論争の種にも 1937年のAustralian Womenʼs Weekly誌上のコファの広告内。
パヴロヴァ コファはチョコレート・クラックルズ作りには、ライス・バブル
Pavlova と共に欠かせない材料で、しかも代用がきかないため、チョコ
レート・クラックルズの人気はそのままコファの売り上げに繋
がっているともいえる。
1940年代に料理本にレシピが紹介されているが、1953年に
ケロッグ(Kelloggʼs)社が“チョコレート・クラックルズ”という
名前を朝食シリアルとして商標登録。2003年には同社のライス
・バブルのパッケージに長年印刷されていたレシピも登録申請
パ ヴロヴァ(Pavlova)は、砂糖を加えたメレンゲ(卵の されたことから、“自由にレシピが使えなくなる”とオーストラリ
白身を泡立てたもの)を低温のオーブンで焼き、ホ ア国内でちょっとした騒ぎになった。ライス・バブルの類似品対
イップクリームとフルーツで飾ったもの。表面はカ 策だったと思われるが、結局、申請は却下されている。
リッと、中はフワッとした食感が人気で、クリスマスの食卓には
欠かせないデザートだ。その由来は、ロシアのバレリーナ、アン オージーの名前が付いたものも
ナ・パヴロヴァ(Anna Pavlova、1881-1931年)が1926年にオー ピーチ・メルバ
ストラリア(29年にも来豪)とニュージーランドで公演した時 Peach Melba
に、彼女の容姿と衣装の色からヒントを得て考案されたものだ
といわれている。ところが、その出自を巡ってオーストラリアと
ニュージーランド間で、論争がありいまだに結論が出ていない。
ニュージーランド側は、1926年にウェリントン(Wellington)
にあるホテルのシェフが、彼女の公演時の衣装からヒントを得
お菓子な話
新年、あけましておめでとうございます。トーストやシリアルで始まるオーストラリアの正月に驚いた人も慣れた人も、甘い
もの三昧で食傷気味になってしまう日本のお節料理が懐かしいのではないだろうか。そこで今回は、甘さならお節にも負けな
い”オーストラリアのお菓子”を大特集。諸説ありながらも” 一応はオーストラリア発祥”といわれるお菓子全13種類を、その由
来やエピソードと共に紹介する。1月26日はオーストラリア・デーでもあることだし、”オーストラリアの甘くない歴史”を甘い
お菓子と一緒に辿ってみるのもいいかもしれない。本年もよろしくお願い申し上げます。 (編・加/写・久)
日本人にもお馴染み 日本 で は な か な か 見 か け な い 風 情 の ラ ミ ン ト ン たものとしている。しかし、もとのレシピはニュージーランドの
(Lamington)は、バニラスポンジをチョコレートソー メレンゲ・ケーキ(Meringue Cake)というデザートで、“パヴロ
アンザックビスケット スでコーティングし、ココナッツファインをまぶした ヴァ・ケーキ”という名前のデザートはサイズも小ぶりで別物と
Anzac Biscuits
ケーキ。スポンジの間にジャムやクリームをサンドしたものも のこと。ただ、1935年にパヴロヴァの型崩れ防止用リングの広
オ ーストラリアのお菓子といえば、まず最初に思い浮か
ぶ、見た目も味わいも素朴なアンザック・ビスケット ある。ココナッツの風味といいスポンジの甘さといい、まさに見 告が見付かっており、この時点で既にニュージーランドでは、パ
(Anzac Biscuits)。毎年4月25日のアンザック・デー
の頃になると、青いパッケージがスーパーなどの棚一角を占め たままの味といったところか。レシピが初めて紹介されたのは、 ヴロヴァのレシピが一般的に知られていたと思われる。
る。カリッとした歯ごたえで、噛むほどにオーツやココナッツの
香ばしさが口全体に広がってくる。材料には卵を使用せず、押し 1902年、クイーンズランド州の新聞紙上。初期のレシピにはコ 一方オーストラリアでは、1926年に出版された料理本に既に”
麦、小麦粉、ゴールデンシロップ、溶かしバターなどを使用し、栄
養価が高く、しかも傷みにくい工夫がされている。ユニビック コナッツはついていなかったとされており、当時は”ラミントン フルーツ詰めメレンゲ(Meringue with Fruit Filling)”というレ
(UNIBIC)社製のものがスーパーなどで買えるほか、手作りする
のが一般的だ。その由来は、第一次世界大戦(1914-18年)に参戦 募金活動(Lamington Drive)”と呼ばれ、主に学校や教会の寄付 シピがあり、これをヒントに1935年、パースのシェフがアフタ
したアンザック(ANZAC、Australian and New Zealand Army
Corps)兵士の妻や恋人達が、腹持ちが良くて傷みにくく、しかも 集めに作り売られていた。その名前は、クイーンズランド州のラ ヌーン・ティー向けに“アンナ・パブロヴァのごとく軽いデザー
輸送でも崩れにくい食糧として手作りし、ビリー(Billy、アルミ
製 の ア ウ ト ド ア 用 蓋 付 き 鍋 。こ れ で 作 る の が 有 名 な ビ リ ー ・ ミントン総督(1896-1901年)に由来するもので、発明したの ト”として発明したものとされている。1937年のAustralian
ティー)に入れて戦場に送ったとされている。当初は甘味がな
く、アンザック・タイル(Anzac Tiles)、またはアンザック・ウェィ は総督付きのフランス人シェフ、ガラン(Armand Galland)とい Wo m e n ʼs We e k l y 誌 に は “ パ ブ ロ ヴ ァ・ス イ ー ト ・ ケ ー キ
ファー(Anzac Wafers)と呼ばれて、パンの代用品として兵士達
に配給されていた。オリジナルはスコットランド移民によって うことで一致しているが、詳細については諸説ある。 (Pavlova Sweet Cake)”のレシピが紹介されている。
持ち込まれたスコティッシュ・ビスケットということだ。
国 内 最 初 の レ シ ピ は 、1 9 1 7 年 出 版 の T h e Wa r C h e s t まずは、総督官邸の厨房にあった大きなケーキを食べ易くす
Cookery Bookの中で“ケーキ”として紹介されたもの。現在のア
ンザック・ビスケットに近いものは同書内で“押し麦ビスケット るために同シェフが小さく切り分け、チョコレートをディップ レシピが危機に?
(Rolled Oats Biscuits)”または“兵隊のビスケット(Soldersʼ
Biscuits)”という名前で紹介されていた。その後、1921年出版の し、ココナッツをまぶしたというもの。ふたつめは、1901年に チョコレート・クラックルズ
St Andrewʼs Cookery Bookで紹介されたAnzac Crispiesが現
在のものに近いとされており、アンザック・ビスケットと呼ばれ オーストラリア連邦誕生のお祝いの際、官邸を訪れた突然の来 Chocolate Crackles
るようになるのは、有名なガリポリの戦い(ANZAC Gallipoli 客に、ガランシェフが残り物のバニラスポンジを利用して即興
Campaign、1915年-16年)以降となる。1994年、アンザック・
ビスケットの正統なレシピと形が法律で保護されることにな で作ったというもの。または、総督と側近達がクイーンズランド
り、アンザック・クッキーとしたり、アレンジを加えたものをア
ンザック・ビスケットとは呼べないことになった。そのため、そ 州西部のトゥーンバ(Toowoonba)に避暑で訪れていた際に作
れまでアンザック・ビスケットを製造・販売していたサンドイッ
チのサブウェイ(Subway)は、採算が合わないことから販売を中 ら れ 、来 客 に 振 舞 わ れ た と い う も の 。更 に は 、ガ ラ ン シ ェ フ が
止したというエピソードがある。
チョコレートの入った皿にうっかりスポンジケーキを落として
発祥には諸説ある
しまい慌てていると、そのままでは食べにくいからココナッツ
ラミントン
Lamington をまぶしてはどうかと、総督に提案されたというものだ。ただ
し、総督本人は甘いものが好きではなかったらしい。また、ココ も うひとつ、ちょっとした騒ぎがあったのが、子供絡み
ナッツは当時のヨーロッパ系のデザートには一般的ではなかっ のイベントでは定番のチョコレート・クラックルズ
たが、ガランシェフの妻がタヒチ生まれだったことから使用さ (Chocolate Crackles)。ライス・バブルとココナッツ
れるようになったともいわれている。 ファインをチョコレート味のオイルで固めたもの。カリカリサ
近年になって、オークランド大学の専門家が、ニュージーラン クサクとしていて、日本ではロングセラー商品の” チョコフレー
ドの水彩画家JRスマイス(Smythe)の1888年の作品に食べかけ ク”に似ている。子供でも簡単に作ることができバリエーション
のラミントンらしきものが描かれており、そのため、ニュージー の幅も広いことから、材料のコファ(Copha、1933年にオースト
ランドのウェリントン(Wellington)というお菓子がオリジナル ラリアで発売された、植物性油脂を原料としたショートニング)
である、との説を発表している。 の広告にそのレシピが紹介されて以来、幅広い年齢のオージー
に絶大な人気を誇ってきた。レシピが最初に紹介されたのは、
ときには論争の種にも 1937年のAustralian Womenʼs Weekly誌上のコファの広告内。
パヴロヴァ コファはチョコレート・クラックルズ作りには、ライス・バブル
Pavlova と共に欠かせない材料で、しかも代用がきかないため、チョコ
レート・クラックルズの人気はそのままコファの売り上げに繋
がっているともいえる。
1940年代に料理本にレシピが紹介されているが、1953年に
ケロッグ(Kelloggʼs)社が“チョコレート・クラックルズ”という
名前を朝食シリアルとして商標登録。2003年には同社のライス
・バブルのパッケージに長年印刷されていたレシピも登録申請
パ ヴロヴァ(Pavlova)は、砂糖を加えたメレンゲ(卵の されたことから、“自由にレシピが使えなくなる”とオーストラリ
白身を泡立てたもの)を低温のオーブンで焼き、ホ ア国内でちょっとした騒ぎになった。ライス・バブルの類似品対
イップクリームとフルーツで飾ったもの。表面はカ 策だったと思われるが、結局、申請は却下されている。
リッと、中はフワッとした食感が人気で、クリスマスの食卓には
欠かせないデザートだ。その由来は、ロシアのバレリーナ、アン オージーの名前が付いたものも
ナ・パヴロヴァ(Anna Pavlova、1881-1931年)が1926年にオー ピーチ・メルバ
ストラリア(29年にも来豪)とニュージーランドで公演した時 Peach Melba
に、彼女の容姿と衣装の色からヒントを得て考案されたものだ
といわれている。ところが、その出自を巡ってオーストラリアと
ニュージーランド間で、論争がありいまだに結論が出ていない。
ニュージーランド側は、1926年にウェリントン(Wellington)
にあるホテルのシェフが、彼女の公演時の衣装からヒントを得