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一杯のコーヒー
ひと粒の豆
第1回 僕とコーヒー
石渡 俊行〈いしわた・としゆき〉
聞き手・構成:田部井紀子 写真:林 曜一
<石渡俊行プロフィール>
1977年神奈川県生まれ。05年ワーキングホリデー・ビザで来豪、
地元レストランなどを経てサウス・メルボルンのカフェ『St. Ali』
でバリスタを、また09年より『Market Lane Coffee』でヘッド・
ロースター兼クオリティー・コントロールを勤める。国内の各大会
で数々の受賞歴を持つ。メルボルンのコーヒー業界で活躍する日
本人としては、パイオニア的存在。
初めまして、石渡俊行です。プラーンにあるカフェ「Market その時僕は26歳。16歳からバリスタとして働く人も多い中、 ティー(コマーシャル)」の豆を使ったものから、産地とクオリ
Lane Coffee」で、ロースターをしています。メルボルンでコー とても遅いスタートでした。英語力も乏しい上、アジア人がバ ティーにこだわった「スペシャルティー・コーヒー」に変化し始
ヒーの世界に入ってから、今年で10年です。これから半年間、 リスタとして活躍できる環境もなかったため、生半可な気持ち めた時。そしてマークは、メルボルンで最も最初にスペシャル
コーヒーのこと、豆のことについてお話しようと思います。 でコーヒーを学ぶことはできないと思いました。 ティーを広め、マイクロ・ロースター(自家焙煎)を始めた人物で
僕がコーヒーと出会ったのは25歳の時、初めてワーキング・ メルボルンに来て、まず3軒のレストランで3ヶ月ずつキッ す。この彼が、僕に「うちの店『St. Ali』で焙煎をしないか」と言っ
ホリデーで行ったニュージーランドでのことでした。キッチ チンで働きました。どの店でも最初の1ヶ月間はキッチン・ハ てくれました「。うわあ、未知の世界だ」と本当にうれしかったで
ン・ハンドとして働いていたレストランで、ヘッド・シェフがあ ンドでがんばるから、あとの2ヶ月間はバリスタをやらせてと す。ビジネス・ビザも出してくれ、ここでヘッド・バリスタ、ヘッ
る日「トシ、コーヒー飲む? 最近上達したんだ」と声を掛けてき 伝えたのですが、2軒目がかろうじてマシンに触らせてくれた ド・ロースター、コーヒーの品質管理を手掛けました。
ました。その頃の僕はコーヒーにまったく興味がなくて、イン だけ。その間に履歴書を150通以上提出しましたが、雇ってく それ以来僕は今に至るまで、メルボルンで最初の日本人ロー
スタントを飲んでいたほど。「誰が作っても一緒でしょ」と思っ れたところは1軒もありませんでした。 スターとして、スペシャルティー・コーヒーに携わり続けて来
ていました。 バリスタとして働けるようになったのは、その後行った ました。その後St. Aliはオーナーが変わり、僕は6年前から今の
でも彼が作ってくれたラテは、牛乳と調和がすごく取れてい ショート・コースで先生が「トシはやる気があるから」といろん Market Lane Coffeeで、焙煎を中心に、カッピング(コーヒー
て、すごくおいしくて、思わず考え込んでしまいました。マシー な店を紹介してくれたおかげです。それからはトントンと、 のテイスティング)、生豆の管理、農園訪問、そしてバリスタ、と
ンも豆も、グラインダーも一緒なのに、なぜこんなに違うんだ ちっちゃなカフェや、イベントでエスプレッソを提供する仕事 コーヒーとカフェにかかわるすべてを経験させてもらってい
ろう、と。そしてコーヒーのことをもっと知りたいと、どんどん ができるようになりました。そしてワーホリ最後の3ヶ月間、 ます。この仕事をやっていて良かった、と思うのは、なんといっ
ハマって行きました。そんな僕を見たシェフの彼の「もっと勉 ちゃんとしたカフェで働きたいと思っていた時、サウス・メル てもお客様から「おいしかったよ」「いつもありがとう」と声を
強したいならメルボルンに行くといい。カフェがたくさんある ボルンにとあるカフェがオープンするという話を聞いて、オー 掛けていただいた時。そして僕自身、おいしいコーヒーを飲む
から、きっと仕事も見つかるよ」というひと言で、今度はメルボ ナーのマークに会いに行ったのです。 と1日中とても幸せな気分になります。その1杯を提供したい
ルンにやって来ました。再びワーホリです。 当時、メルボルンのコーヒー文化は、それまでの「コモディ と、いつも思っています。
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一杯のコーヒー
ひと粒の豆
第1回 僕とコーヒー
石渡 俊行〈いしわた・としゆき〉
聞き手・構成:田部井紀子 写真:林 曜一
<石渡俊行プロフィール>
1977年神奈川県生まれ。05年ワーキングホリデー・ビザで来豪、
地元レストランなどを経てサウス・メルボルンのカフェ『St. Ali』
でバリスタを、また09年より『Market Lane Coffee』でヘッド・
ロースター兼クオリティー・コントロールを勤める。国内の各大会
で数々の受賞歴を持つ。メルボルンのコーヒー業界で活躍する日
本人としては、パイオニア的存在。
初めまして、石渡俊行です。プラーンにあるカフェ「Market その時僕は26歳。16歳からバリスタとして働く人も多い中、 ティー(コマーシャル)」の豆を使ったものから、産地とクオリ
Lane Coffee」で、ロースターをしています。メルボルンでコー とても遅いスタートでした。英語力も乏しい上、アジア人がバ ティーにこだわった「スペシャルティー・コーヒー」に変化し始
ヒーの世界に入ってから、今年で10年です。これから半年間、 リスタとして活躍できる環境もなかったため、生半可な気持ち めた時。そしてマークは、メルボルンで最も最初にスペシャル
コーヒーのこと、豆のことについてお話しようと思います。 でコーヒーを学ぶことはできないと思いました。 ティーを広め、マイクロ・ロースター(自家焙煎)を始めた人物で
僕がコーヒーと出会ったのは25歳の時、初めてワーキング・ メルボルンに来て、まず3軒のレストランで3ヶ月ずつキッ す。この彼が、僕に「うちの店『St. Ali』で焙煎をしないか」と言っ
ホリデーで行ったニュージーランドでのことでした。キッチ チンで働きました。どの店でも最初の1ヶ月間はキッチン・ハ てくれました「。うわあ、未知の世界だ」と本当にうれしかったで
ン・ハンドとして働いていたレストランで、ヘッド・シェフがあ ンドでがんばるから、あとの2ヶ月間はバリスタをやらせてと す。ビジネス・ビザも出してくれ、ここでヘッド・バリスタ、ヘッ
る日「トシ、コーヒー飲む? 最近上達したんだ」と声を掛けてき 伝えたのですが、2軒目がかろうじてマシンに触らせてくれた ド・ロースター、コーヒーの品質管理を手掛けました。
ました。その頃の僕はコーヒーにまったく興味がなくて、イン だけ。その間に履歴書を150通以上提出しましたが、雇ってく それ以来僕は今に至るまで、メルボルンで最初の日本人ロー
スタントを飲んでいたほど。「誰が作っても一緒でしょ」と思っ れたところは1軒もありませんでした。 スターとして、スペシャルティー・コーヒーに携わり続けて来
ていました。 バリスタとして働けるようになったのは、その後行った ました。その後St. Aliはオーナーが変わり、僕は6年前から今の
でも彼が作ってくれたラテは、牛乳と調和がすごく取れてい ショート・コースで先生が「トシはやる気があるから」といろん Market Lane Coffeeで、焙煎を中心に、カッピング(コーヒー
て、すごくおいしくて、思わず考え込んでしまいました。マシー な店を紹介してくれたおかげです。それからはトントンと、 のテイスティング)、生豆の管理、農園訪問、そしてバリスタ、と
ンも豆も、グラインダーも一緒なのに、なぜこんなに違うんだ ちっちゃなカフェや、イベントでエスプレッソを提供する仕事 コーヒーとカフェにかかわるすべてを経験させてもらってい
ろう、と。そしてコーヒーのことをもっと知りたいと、どんどん ができるようになりました。そしてワーホリ最後の3ヶ月間、 ます。この仕事をやっていて良かった、と思うのは、なんといっ
ハマって行きました。そんな僕を見たシェフの彼の「もっと勉 ちゃんとしたカフェで働きたいと思っていた時、サウス・メル てもお客様から「おいしかったよ」「いつもありがとう」と声を
強したいならメルボルンに行くといい。カフェがたくさんある ボルンにとあるカフェがオープンするという話を聞いて、オー 掛けていただいた時。そして僕自身、おいしいコーヒーを飲む
から、きっと仕事も見つかるよ」というひと言で、今度はメルボ ナーのマークに会いに行ったのです。 と1日中とても幸せな気分になります。その1杯を提供したい
ルンにやって来ました。再びワーホリです。 当時、メルボルンのコーヒー文化は、それまでの「コモディ と、いつも思っています。
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