第4回 『文化の標準化』
昨年は「日本食は日本の文化」ということで話が終わりました。この日本食関連で話を進めます。
現在世界の先進国では、長寿の日本人の食事が健康食ということでも注目されています。板前さんに言わせると、本当のところは“日本食もどぎ”となりますが、「このブームを活かさずしてなんとしよう」ということです。ここオーストラリアでは、誰もが日本食を売ろうと殺到していますが、その食材は日本から輸入をするしかありません。
現地生産の中国野菜等で、日本の料理が意外に簡単に作れます。できれば皮のやわらかいなす、みょうが、長ねぎ、日本のかぶやかぼちゃ、三つ葉等が八百屋さんで買えるといいのですが、贅沢な悩みというところでしょうか。照り焼きソースやしょうゆは一般的になりましたが、ソース、調味料、だし等は、更なる市場の拡大まで、輸入に頼らざるを得ません。もう少し人口が増えるまで時間がかかるでしょう。
現地生産は、企業ベースで進出してくる場合も多くあるかと思います。昔ながらの、「経済の顔を持った日本人」です。日本の企業に勤める現地人が増えて、日本製品が現地で生産されますが、そこから文化の顔をもたらすまでの道が、現地に住む日本人の本領発揮のしどころになるでしょうか。その意味では、食の文化は何よりの好材料です。
また、産業としては生産技術的な問題は解決できたとしても、次の問題はローカルマーケットがあるかということです。この採算ベースに乗らないと、企業としては参画しません。最初から輸出を当て込むと、なかなか難しいものがあるでしょう。総合的な事業計画が重要です。
では、個人としてはどうかと言うと、やはり毎日の収入が生まれないのでは、生活もできないという結論が簡単に導き出されます。どこかにその打開策が見出せないか、難しいところですね。思えば昔の人はすごかったといえます。100年から200年程前の時代の人々は、「自分の時代では基礎固め、子供の時代に花開き、孫の時代に実を結ぶ」。それが当然でした。
在豪や移住を目指す日本人というのも、開拓精神に満ちた生き方。自分達の得意な分野で、社会に貢献できる道を三代で築くような生き方が、定着してきてもいいのではないでしょうか。そんな精神がある人には、オーストラリアに限らず、世界のどこでもいいわけですが、まずは発想の転換が促されるべきというところでしょうか。人や文化の交流を通じて「世界の文化は確実に標準化」していく様子がうかがえます。
次回からは、具体的な個人の資格に視点を移していきたいと思います。
(続く)