Scientifically correct, artistically attractive
(科学的には正確に、芸術的には魅力的に)
ユリの花束を大事そうに抱えた女性がレンガ作りの建物に入っていく姿が見えた。「あ、Beverley先生だ」。全くの初対面にもかかわらず、そう直感したのは、事前に目にしていた作品が彼女の印象にぴったりだったからだ。
教室にはすでに生徒が3人。各人が先生の用意した花から好みのものを選ぶと、一輪挿しに挿してスケッチブックの横に置く。初心者の私のために先生が選んでくれたのは、満開の2つの花と3つの蕾を持つピンクのユリ。「こっちの方向から、この花を描きましょう」。先生が描きやすい方の花を示して花瓶に挿してくれた。
その日出席の5人の生徒は、皆年配の女性。ボタニカルアートは初心者ながらも、陶芸や油絵など、何かしらの芸術的下地はあるらしい。記者は4年前まで2年間、デッサンのコースに通っていたとはいえ、ボタニカルアートのような細密画に対しては性格的に及び腰。「Scientifically correct, artistically attractive(科学的には正確に、芸術的には魅力的に)」という先生のアドバイスを心に留めながら机に向かう。
画用紙に柔らかめの鉛筆で描いていくのは普通のデッサンと同じ。ただし実寸大で描くことが大原則。先生は個別にアドバイスしてくれるが、生徒達の半分は自宅で練習してきた作品や独自に作ったカラーチャート持参で実に熱心だ。「雌しべを中心に広がった花びらは、幅が広いもの3つと狭いもの3つが交互についているのをよく見極めて」。「雌しべから真っ直ぐ下に茎が伸びているのがわかりますか」など、描き方より花の構造に関するアドバイスも多い。先生自身は植物学の勉強をしたとはいえ、決して必要以上の専門知識があるわけではないというし、また必要もないそうだ。先生はアーティストとして経験を積んだ後、1975年にThe Wildlife Art Society of Australiaに入会、運営メンバーとして活躍する傍ら、Wildlife Artのプロモーションに尽力したという。現在は展覧会の企画運営、ビジネス経営、カリグラフィー講師と多方面で活躍し、受賞作も多数ある。
日本ではあまり知られていないボタニカルアート“植物画”は、15~16世紀の大航海時代に始まった。新しく発見した大陸やヨーロッパ諸国の植民地から採集した植物を長い航海で自国に持ち帰れないため、植物学者と絵描きが一緒に作業に携わり、写真の代わりに記録として描かれていたものが、その後芸術としてヨーロッパに広まっていったものだ。
さて、うっかり取材中であることも忘れて没頭しているうちに、「このまま硬い鉛筆で輪郭を1本の線に描き直してトレースしましょう」。どうやら構図はOKらしい。もちろんそのまま色鉛筆や水彩絵の具で色付けをする人もいるが、本格的には水彩絵の具に適した紙にトレースしてから色付けをする。経験にもよるが、今回のデッサンで2時間、色付けをして最低でも完成に2~3日はかかる。その間、花は刻々と変化していくので、慣れないうちは写真撮影して最後に花びらや葉の形などのチェックをする。ただ、光線の加減などもあって実物の色は出ないので、記憶力とスピードに頼るしかないという。そのため、初心者にはサボテンや木の実といった様相の変わりにくいものを使って、自信を付けさせながら技術を教えていくという工夫もしている。
集中していたために時間が過ぎるのは早かったが、先生が話す“やり甲斐、表現力、正確さ”というボタニカルアートの魅力は充分に体験することができた2時間だった。