時間が経てば 忘れることができると自分に言い聞かせ
もっと時間が経てば またいつか会えると密かに願う 自分がイヤ
日本に向かう飛行機に乗った。長い行列に加わるのがめんどうで、最後の方に乗り込んだ。席は窓際で、すでに通路側の2人の日本人女性は席についている。年齢も近そうな、50代後半ぐらいの2人は、一緒に旅をしている友達同士なのかと思った。席について飲み物が配られたりするうちに、2人はそれぞれひとり旅で、なんとなく打ち解けないムードなのがわかった。
そのまま、最低限の言葉を交わすだけで旅は進んだ。朝食も終わり、最後に3人が同じタイミングでトイレに立って、「窓際の人が席を立つから通路側の人も落ち着かない」状況を回避して、あたしが席に戻った時には、ひと足先に戻っていた隣の2人が会話を始めていた。長い空の旅も終わりに近づいて、ホッとしたのかもしれない。
ちょっと奥様風の通路側の女性は、金沢でピアノを教えているそうだ。娘が海外に住んでいて、まだ独身でちょっと心配だと言う。真ん中の女性は、娘がニューヨークに住んでいて、アメリカ人と結婚している。40歳を過ぎて、もう諦めていた初めての子供が生まれて大変らしい。2人とも、息子は日本にいるけど、1人しかいない娘が海外にいて、老後のことを考えるとちょっと寂しいという話で盛り上がっていた。
そんな話を聞いているうちに、なんだか黙っていられなくなって、話に加わった。あたしはまさに彼女達が話している「海外に行ってしまった1人きりの娘」だったから。彼女達の話が、普段なかなか本音を語ることのない自分の母を代弁しているような、不思議な縁を感じた。
最近、東京に住んでいる母の体調があまりよくない。オーストラリアに住んでいると、そう簡単に日本へ帰るわけにはいかなくて、ちょっと心配している。自分が若い頃は、親も若かったし、お互いに今のことで一所懸命だったし、未来はどうにかなると思ったものだ。でも、実際、確実に時は流れている。
おめでたい性格のあたしには、自分の年齢に関する自覚があまりないものの、久々に会った友人の子供がすっかり成長していたり、今のように母が元気をなくしたりすると、ふと立ち止まって考えることになる。過去に戻って、何かを変えたいとは思わないけど、流れてしまった時間の大きさにちょっとボーゼンとするのは、あたしもやっぱり、段々、年を重ねているからなんだろうなあ。
そんな時には、もういっそ日本へ戻ってやり直そうかとも考えて、頭の中でシュミレーションをしてみる。もちろん今更、通勤地獄を生き残れるとは思わない。職場のみんなの足並みを気にしたり、流行に興味があるフリをしたりも、しばらくは楽しいけど、長くは続かないだろう。お金があってブラブラできるなら、東京は楽しい街だけど、仕事もお金もなかったら、せつないだけだよね。
どこか地方の町でささやかな暮らしをするのもいいかもって考えるけど、地方の町ほど、その町の秩序が厳しくて、みんな一緒じゃないと安心しない人も多いんだろうなあ。そうやって、考えていくと、どうもリアルな絵が描けなくて、「まあ、とりあえずは、このままでいいか」って感じに終わってしまう。
相棒君とそんな話をしていたら、日本が大好きなオージーの彼は、おもしろいことを言ってくれた。日本で生活するって、「巨大な、熊のような動物が動き回っていて、1人1人の人間が一所懸命、その動物の毛につかまっているようなイメージ」なんだって。その動物が自分の意思を持っていて、勝手に首を振ったりするたびに、つかまっている人達は振り回されて、それでもしがみついている…。
なんだか、せつないけど、当たっている感じがする。その巨大な熊は、おそらく社会の意思とか、全体の方向性とかなんだろうけど、多分、そこに乗っている人達の想像力の産物なんだよね。どんなに大きな怪物でも、実態はないし、おそらく、みんなの意思で変えることもできる。でも個人の力量は超えている。もっとみんなが一斉に幸せな夢を見る方法ってないのかなあ。民主党の鳩山首相が、がんばってどうなるようなことでもなさそうだよねえ。
ちなみに相棒君によれば、オーストラリアは「未だに、移民してきた人達がテキトーにテントを立てて住んでいて、気分でテントを動かしたり、隣の奴とモメたりしている平面」なんだって。なんか、そのちょっと物足りないまったり感、当たっているかも。さて、どっちがいいんだか。