月桂樹の花に似た 淡黄色の想い出が持つ記憶のかけらは
くたびれた靴と理想を履いて歩く あの悪魔の夢と 同じ速度で枯れていく
今、なぜか「新インフル」騒ぎの真っ只中の東京に来ている。メルボルンを出発する前、突然メキシコやアメリカで始まった豚インフルエンザ騒ぎだったが、最初こそ、ニュースの一面を飾っていたものの、実はそれほど致命的な影響はないということが判明し、飽きっぽいオーストラリアのメディアでは、何日かすると、すっかり三面記事扱いになっていた・・・はずだった。しかし、日本では、その騒ぎ、全然終わってなかったのだった。カナダに修学旅行に行った高校生からウイルスが検出されたことで、隔離が行われていて、その学校には非難の電話が鳴り響き・・・。ニュースも、ワイドショーもそれ一色で、新インフルは怖いという世論を作り出し、友人のヨーロッパ出張も取りやめ。「こんなご時世」に海外に行って病原菌を持ち帰ったら、企業としての社会的責任を問われ、ビジネスに影響するからだって。この2つの国の文化の違いを、これほど実感できるイベントはないなあと思う。
もしオーストラリアで、「そんなご時世」に海外出張に行って、インフルエンザになって帰って来ても、「社会責任」を問われたりはしないだろう。
その人がどんな会社に勤めているか、どんな理由で渡航したかより、他への感染を防止して問題を解決する方向に行く。ましてや、誰が上司で、危険を犯して出張を許可するほどの根拠があったか、企業としての責任を誰が取るのかなんてことを評論家がいちいちテレビで検証したりするだろうか。
これを書いている間も、関西方面で海外渡航歴のない高校生達を中心に感染者が続出して、大阪方面の学校は全面休校、テレビに映るサラリーマンの朝の出勤風景は、マスクの嵐。このインフルエンザは、当初心配されていたほど危険ではなく、通常の季節性のものと変わらないことが、すでに政府内でも確認されているにも関わらず、実情に合わせて対応策を変更するのに何日もかかっている。その間、子供を預けて働いている人達は会社に行けず、社会的混乱が続いている。日本の「念には念を押す」という文化、「みんな一緒に横並び」という感覚は、後ろ向きになると、どうしようもない事態を巻き起こす。「こんなことで振り回されていいのか、先進国、日本。あんまり間抜けだと世界から相手にされないよー」と情けない気分なのは、あたしだけみたい。念のため、メルボルンに電話してみれば、やっぱり誰も騒いでいなくて、まるで笑い話。そうだよ、あたしは大丈夫だよねえと自己確認。
日本では、マスコミも政府も、みんな内側しか見ていなくて、メンタリティーは鎖国時代と何も変わっていないみたい。出張を取りやめた相手のヨーロッパ人が迷惑を受けて、「ヤッパリ日本人ヨクワカラナイ」と思うことが、企業イメージのダメージになるなんてことは、あんまり気にしてないんだろうな。だって、そういう決定を下す上司は、外側からの視野を持っていないから。こんな社会で「型に囚われない自由な発想」を持つなんて、ほとんど無理だなあと思うと悲しくなる。
オーストラリアは、確かにいい加減なところが多くて、一緒に仕事をしようとして、ユルイ人に会って、やってられない気分になることも多い。でも、自由な発想で、好意的に動いてくれる人も少なくない。個人が自分の意思で何かをやろうとする場合、世間が邪魔をすることは少ないし、企業が無意味な社会的立場を強要されることもない。どちらが良いかではなく、自分にとって、どちらの居心地が良いかが肝心なんだろう。あたしは、とっととメルボルンに戻りたくなった。そして無頓着な乗客に囲まれた昼下がりの電車で昼寝を楽しみたい気分。
なんか、柄にもなく社会評論みたいなカタイ話になっちゃって、すみません。でも、こういう騒ぎを客観的に見ることのできる、海外にいる人達に考えてほしい。特に将来、日本に帰って生きていく若い人達。日本に戻って直面するのは、この内側向きの感覚。それを少しでも変えていけるのは、広い視野を持った個人が増えていくことしかないと思う。
かえるちゃんの話が飛んじゃった。先月号の、カフェで消えてしまったかえるちゃんのバッグ事件。忘れたわけじゃないので、安心してね。来月には戻るから。