怒り狂い、鋭い牙を剥き出しにして、茂みの向こう側で今にも襲い掛からんと構える虎の、
その虎の額に着陸してしまうハエに、私はなりたい。
久しぶりに体調を崩した。食べすぎだったのか、風邪だったのか、よくわからないけど、とにかく具合が悪くなり、短期決戦型の休めない仕事を抱えて「ホントに参りました状態」になってしまった。病気のフリーランスに明日はない。とにかく仕事に行って、できるだけがんばるしかなかった。
朝、シャワーを浴びて家を出る時には、なんだか大丈夫な気がして、でも午後4時ぐらいになるとだるくなり、帰りの電車では寒気がして座っているのもしんどいような居心地の悪さを味わった。こんな時に日本なら、まず間違いなくお風呂に入るんだけど、なんせ水不足のメルボルン、しかも我が家の給湯タンクは古くて、バスタブが一杯になる前に息切れしてしまう。とにかく少しでも眠ることでなんとか乗り切った。しかし、そこは「転んでもタダでは起きない精神」なのか、しんどいくせに、しんどい自分をどこかで観察している自分にも気付いて、ちょっとおもしろかった。しんどい時の心理状態、自分と体が別物のように感じられる不思議。朝、目が覚めて元気一杯で起きたいのに、ずっしりとする体。「うーん、横になっていたい体を動かすのはかわいそうなんだけど、でも仕事に行かないと体を養えなくなっちゃうんだよね、ごめん」みたいな内側での独り言。
結構当たる感じのしてる某新聞の週末の星占いは、「月末まで疾走する馬の鞍に絡まったような状態で、走らされる」と書いてあった。続きを読めば、「その状況の被害者になりたくなければ、今はとにかく走るしかない」だって。かなり当たっている感じはするが、あまり救いにならない御託宣。そういうことらしいとハラをくくって、走るしかないと決心する助けにはなったけど。
そんな調子で走らされてる今月号なので、何を書いたものか、ヨクワカラナイ。だるい体を観察している自分にも気付いたけど、「何も考えられないごちそうさまの頭」の存在にも気付いて観察している自分、ってことは、その自分は何者なんだ?わー、なんて哲学的。というより、単に混乱してるだけかも…。
そんな日が4、5日続いた後、体調が回復してきた。最初に驚いたのは、体が元気だと楽だなあって。行きたい場所に行って、やりたいことをするのに何の邪魔もないというのは、実はすごいことなんだって感謝した。普通に起きて、駅まで歩いて、仕事をしたり、ご飯を食べたり、一つ一つの日常の動きが改めて新鮮。忙しがって変なものを食べたりしちゃイカンとも思った。ちゃんと回復して、仕事のヤマも越えたら、もっと体をかわいがろう。
そしてもう一つ、おもしろかったのは、実は体調を崩していたのはアタシだけじゃなかったこと。日本人と一緒の仕事で、一人、二人は「ちょっと体調が悪くて」と公言してたんだけど、後になって「体調を崩してたけど、もう大丈夫」と告白する人が何人か出てきた。どうも同じ風邪が流行っていたらしい。みんなが平気そうな顔をして、しんどい体でがんばっていたんだと思うと、がまん比べゲームみたいで、ちょっと笑える。でも、この同じ状況がオーストラリア人の仕事場だったら、状況は全く違っていただろうな。具合が悪い人は休んじゃうか、少なくとも自分の状態を公言してスローダウンするだろう。どちらが良いとかの問題じゃなく、それも文化なんだと思う。
仕事の仕方を見ていても、日本人は自分の仕事をしながら、周囲の状況を読む必要があり、例えば誰かが荷物を持ってドアを開けようとして、自分が近くにいれば仕事の手を止めても手伝おうとするようなところがある。実際、この仕事場では、そんなことがよくあって、手伝ってもらうと嬉しくなる。でも周囲に誰もいなくて、明らかに手伝って欲しい人がいるのに気付かずに自分の仕事に没頭していると、多分、相手の心象を悪くする。日本社会では相互補助はお約束で、それができないと生き残りが難しい。オーストラリアでは、誰かの為にドアを開けるのは好意であって、開けてくれる人もいれば、気付かない人もいて、でもそんなことは仕事上の評価には何の関係もない。仕事の動機も、自分の求めるものが基準になっていて、一所懸命仕事をするのが好きな人はそうすればいいし、ホリデーの為に仕事に来ている人は必要以上のことはしない。契約上の仕事内容項目に入っていないことは個人の裁量で、強制や期待はできない。でも自分の体調が悪い時にはそれほどがんばらなくていい。文化の違いっておもしろいね。
みなさんも体に気を付けてね。