尺八演奏家・作曲家
Anne Norman
最高の奏者でありたい。
   だから私はチャレンジし続ける。
Anne Norman

Anne Norman
Anne Norman(アン・ノーマン)
尺八演奏家・作曲家
http://annenorman.com
フルート奏者を出発点に、尺八奏者を軸としながら、作曲家、パフォーマー、アーティスティックディレクターとして 幅広い活動を続けるアン・ノーマン。この8月には、作家としての第一歩も踏み出す。

バンブークラリネット?
「私は難しいこと、チャレンジすることが好きだから」。言葉はもちろん、奏法という壁がありながら尺八を続けてきた理由を、いたずらっぽく笑いながら話す。  1986年、最初に日本を訪れたのは、大好きな冒険旅行の一部だった。半年間東南アジア各国を巡り、日本にいたのは1年半。「旅行のガイドブックで“Bamboo Clarinet(竹製のクラリネット)” と形容されていた日本の伝統楽器、尺八の紹介を読んでからずっと興味を持っていたんです」。
当時、すでにプロのフルート奏者としても活動しており、旅先のアジアの国々で演奏する機会もあった。「フルートを習い始めたのは10歳くらいの時。
両親に連れられて吹奏楽のオクテット(8人による重奏)に行き、どれか好きな楽器を習わせてあげるよ、と言われて選んだのがフルートでした」。ワーキングホリデーで渡った日本で、初めて耳にした尺八の音色。「これ、クラリネットじゃないわって、とてもがっかりしました」。だが、その音は、むしろフルートに似ていて、とても魅力的だった。「日本の伝統文化には興味があったから、尺八を通して、日本を理解しようと思ったんです」。当時、日本語はほとんど話せなかったが、言葉はできなくても音楽を通じてコミュニケーションができることは、アジアの国々で経験済みだった。

奨学金を得て芸大へ」
 神戸市中央区に住み始め、一番近く住んでいる尺八の先生を人伝に探し当てた。「上田流の中村心瞳先生です。もちろん電話では話が通じないから、自転車に飛び乗って先生の家に駆けつけました」。以来、毎週1回、尺八の稽古のために自転車を走らせる生活が続いた。「私の飲み込みが早かったのと、先生自身が教えていて楽しかったということで、授業料は無料でした」。
 それでも、始めの半年間は息使いが難しく、吹いている途中で眩暈すら起こしていた。「私の顔の形は、尺八向きではないんです。特にあごが邪魔なのね」。1年半後、家族の都合でオーストラリアに戻ってはきたものの、尺八を忘れることができず、東京芸大で本格的に学ぶべく、奨学金を得て再度日本に渡ったのは1990年。
 違った演奏曲目や様式を学ぶために、これまでに師事した先生は3人。最高の奏者でありたいという気持ちが、フルート同様、新しい指導者を模索させる。

音色は私自身
オーストラリアに帰国してからは、尺八奏者として、音楽家にとどまらず、ダンサーや詩人といった広い意味でのアーティスト等と活動を共にしてきた。「日本の伝統楽器を、コンテンポラリーとしても取り入れているんです」。ここ1年程は三味線奏者、地唄舞ダンサーとの“日本人ではない” 3人で、日本の伝統音楽“地唄”のコラボレーションを楽しむ他、今月にはMusic from the Tea Landsと称する、日本、中国、インドといった“お茶の国”の音楽をテーマにしたコンサートも予定している。
「私は、お茶が好きですが、Teaという言葉の響きそのものが好きなんです」。音楽家として音が大切なことはもちろん、言葉遊びも好きなのだそうだ。そしてその集大成として出版されるのが『Curiosi-tea』。Camellia Chaのペンネームで、Antiqui-teaに始まる各章で、お茶の歴史や文化についてユーモアを交えて解説している。「お茶会の時に尺八の演奏をしたこともあります。そこで気付いたのは、茶道の“心”は尺八の“心”と同じだということ。共に禅に起源することからも、私の中では2つははっきりと結ばれているんです」。
フルートでは表現できなかった自分を、尺八でなら表現できるという。その音色は「私自身」という。尺八の魅力は「未だにチャレンジできることね」。