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国際交流は知的格闘技
可能性は個人がつくる
外務省から市民外交の一環として派遣され、9月13日から21日の日程で、豪州の4都市を回り、各界の有識者・市民との交流を深めた高久氏。メルボルンの講演では、交流のあるAFLチーム Essendonのジャンパーと帽子をかぶって現れました。身をもって、この時代だからこその国際交流の大切さを訴えられました。
高久 裕
高久 裕 タカク ヒロシ
1972年 慶應義塾大学法学部政治学科卒。
1972~76年8月 朝日新聞記者。
1976年9月 (株)高久入社。商品部長、専務取締役等を歴任。1983年 退社。
1983年11月~2000年(財)日本国際交流センター勤務。議会交流、政策対話プロジェクトを担当。日米パートナーシップ・フォーラム等を統括。日本の政党、有力政治家の対外活動の企画、実施を担当。
2000年3月から独立。
2005年 豪州政府から日豪若手政治家交流事業への貢献を認められ、「豪州名誉勲章」を授与される。その他多くのアメリカの名誉州民、名誉市民として表彰される。現(株)高久事務所代表取締役。
日本の制度を変えたい
新聞社勤めを辞めて、親父の会社に入りましたが、最後は「親父とけんかして」辞表を出しました。女房、子供がいるので、浪人しているわけにもいかず、何か仕事をしないといけない、そしてその頃、このままでは日本はダメになるとも確信していたのです。

経験した小売業を例に取ると、問屋が全てを牛耳っていたし、消費者は、韓国製や中国製だと「クオリティが悪く安い」という先入観を変えようとしない、だから業者も革新的なことをしない…、なんて閉鎖的な国なのだろうと感じていました。これから何かやるなら、日本の制度を変えたい、だからといって小さな店を出して商売をするのでは、制度を変えることまではできません。どうしようかと思っていた時に、大学の恩師に日本国際交流センターに紹介され、仕事をすることになりました。

日本国際交流センターでの仕事
日本国際交流センターでは、すでに日米議員交流が始まっていて、日本のトップクラスの政治家の海外政策対応をすることになりました。外務省やワシントンの大使館、他の省庁の人、アメリカの議会関係者、メディア関係者等、準備段階から多くの人とかかわりました。

アメリカとの関係作りを中心にやっていたので、正直言ってオーストラリアには、注目していませんでしたが、オーストラリア大使が「日本と豪州の若手政治家を交流させたい」と、熱心にセンターに足を運んでくれた結果、始めることになりました。
まず、協力を仰ぐ為に各政党を回りましたが、「日本にとってオーストラリアは貿易赤字国だから、ほうっておけばいいじゃないか」となかなか相手にしてもらえませんでした。
ですが、そんな中で、オーストラリアに来た時、瞬間的にオージー気質に惚れ込んだのです。オープンで情に厚く、チャレンジ精神旺盛、スポーツ好きのオーストラリア人。こんな国と付き合えば日本の為になる、付き合わない手はないと思いました。

政治を見ても、議会で丁々発止と議論し、日本の国会とは全く異なっている、政治家が責任を負っている、これは日本のいい刺激になると、勘が働きました。そして本格的にオーストラリアとの交流に取り組むことにしました。

対話力をつけよう
州や国を動かすというと大変なことですが、まずは、人と人との交流が大切です。例えば転勤で海外に赴任した時、仕事はもちろんするでしょう。でも、週末をどう過ごすかは個人の努力次第です。自分の好きなことで地元コミュニティに貢献したり、ボランティア活動もできます。もしかしたら、会社を辞めて、好きな活動で食べていけるようになるかもしれません。

AFLチームEssendonでは、日本人を交換留学のような形で受け入れています。今回、本部を見せてもらいましたが、PRやマーケティングセクションもあり、コーチングやトレーニングも本格的なビジネスとしてやっています。ここで学んだ学生が日本に帰って、オーストラリアのスポーツに対する取り組みを伝えたら、日本のスポーツ界は変わっていくでしょう。

つまり、一人一人が主人公なのです。何かしてもらったら、その心意気に答えたいという気持ちになるでしょう。個人が続ければ、それに個人が答えてくれます。考え方の違いがあっても、何か問題が起こっても、相手の意見を聞く度量を持って、必要な時には言い返す勇気を持って、やっていきましょう。

これからも、私は気概を持って「知的格闘技」を続けていきたいと思っています。