人生のための芸術ではなく、芸術のための人生。
「天皇陛下がオーストラリアに来たらどうするの?」と家内。私は自分の耳を疑いました。「そうしたらきっと、晩餐会か何かで、花を生けてくれって頼まれるわよ」。「アリエナーイ!」。君の亭主はそんなに出世していない。「その時になって困るの嫌でしょう。問題はあなたが立派な花器を1つも持っていないことよ」。「親ばか」というのはよくあって、うんざりするものですが、「妻ばか」というのもあるようです。まあ、おめでたい。
ともかくこの妻の、根拠のない不安解消のために、キャンベラのヒロエ・スウェインさんを訪ねることになりましたが、気になるのは値段です。豪州の主要な国立美術館はもちろん、海外の著名美術館にも作品が収められている陶芸家です。
首都に着くや、家内は暑さでのびてしまい、その枕元で私はヒロエさんと話し込みました。ともかく頑固一徹、職人気質の烈女で、竹槍でも持たせたら、周囲のフヌケはバタバタやられてしまうでしょう。幕末の頃、侍と接した西洋人は、他民族とは違うその人品に敬意を払ったといいます。きっと同じような特別な存在感を放って、活躍してこられたのでしょう。
その一方、私に対するアドバイスは、思いやりにあふれたものでした。自分の人生をより豊かにするために芸術をやるのも悪くはない、しかし、本物の芸術家は、芸術のために自分の人生を捧げ切るもの。人生のための芸術ではなく、芸術のための人生。そこには、こちら側にいる者には計り知れない厳しさ、覚悟があります。
花器のカタログを拝見したところ、1つなら手が届きそうでした。予算など念頭にない家内は「2つ」と強要し、2つの花器を抱えて帰ることになりました。熱射病で見物もろくにできなかった家内を哀れんでか、帰り際、ヒロエさんは小さな花器を差し出し、「あなたにじゃないのよ。奥さんに」。それがこの花器です。
私は家内の枕元に常に花を生けています。「私の花器に生けてね」と、毎度のリクエスト。小品には良いサイズですが、なかなか難しい花器で、半端な花など受付けないので、実は、まだ、満足できる花を生けたことがありません。