風向きが変わって難を逃れました Tim Carter さん
その日、ぼくは、母がWarragleの近く、Neerim Junctionに所有する小さな鹿の牧場の手伝いに行っていました。昼頃になって遠くに煙が見えましたが、その周辺は今まで大きな山火事に襲われたことはなく、当初は気にしていませんでした。3時頃になって、四方から煙が迫り、風も強くなり、少し心配になりました。母も様子を見にやって来ました。4時半を過ぎると黒雲に囲まれ、牧場全体が暗くなり、赤とオレンジ色に染まりました。危険が迫っていることを知り、鹿たちをまとめました。この頃にはタワーも燃えてしまったらしく、携帯電話もラジオも通じなくなってしまいました。6時頃になって避難が始まりましたが、道路に倒木があり、車が通れないことが判明し、牧場に留まってベストを尽くすことにしました。6時半頃になると「エンバーアタック」という、火の付いた枝などが強風で飛ばされてできる、火の玉が牧場のあちこちに落ちて来ました。
暗くて何も見えない中、懐中電灯を片手に、トラックに汲んだ水を使って、次々と落ちてくる火の玉を消し続けました。木の枝が折れ、窓も割れるような大風を避けるだけでも大変で、やがて雨が降り始めたのですが、インクのように重く、目が開けていられませんでした。
隣の牧場が燃えているのが見えても、手伝いに行く余裕もありませんでしたが、幸い、その火事は他の人の助けで無事消火されました。
アンバーアタックはなんとか収まり、11時頃になって、これ以上、牧場を守ることは諦め、近所のコミュニティーストアに集合しました。周囲は酪農地帯なので、通常は早朝にミルクを集めるミルクタンカーを水で満たして、店の周囲を囲んでもらい、みんなで朝を待ちました。この時ほど身の危険を感じたことはありません。母もパニック状態でした。朝になり、風向きが変わり、どんどん近付いてきていた火が、店の800m手前で方向を変えてくれて難を逃れました。
午後1時過ぎになって、警察の救出部隊が到着し、倒木を排除して道が開通したと知らせてくれました。そのまま警察のエスコートでWarragleまで避難しました。道の両側はまだ燃えていて、街に着くまで生きた心地がしませんでした。
その後、ぼくたちが巻き込まれたのは、Bunyipの大火事の一部だったこと、火事本体ではなく、その周辺の局地的な火事だったことを知りました。通常、車で30分かかる距離を、火事は2時間ぐらいで移動したこともわかりました。月曜日にはヘリが消火活動に参加し、火曜日までには、ほとんどコントロールされましたが、本当に思いがけず、恐ろしい体験をしました。
大惨事に義援金を! 環境にやさしい取り組みを! John Milaneseさん
ビクトリア州は、長く続く干ばつと記録的な猛暑が加わって、今回の山火事の災難を招くことになりました。ユーカリが非常に燃えやすいことも、世界で最も危険な山火事地域となってしまった理由のひとつです。
燃え続ける火が広がらないように、今でも、消防隊(CFA、SESなど)が戦い続けている状態です。それらの団体はほとんどボランティアで構成され、自身の危険も顧みず、住人や家を守るために働いています。今回、その姿を実際に見て、本当に大変だな、がんばっているんだなと、感心ました。
被災者の方たちだけでなく、ボランティアの支援としても、義援金 Victorian Bushfire Appeal Fund(今月号の表紙やWeb参照 )オーストラリア赤十字等に、ぜひともご協力をお願いします。
今回被災地の近くのWhittleseaを訪れ、2人の被災者、ジョン&ソフィー・カブレーさんに会いました。「家が全焼して、60年以上に渡る思い出の品々のほとんどがなくなってしまった。でも心の中に楽しい思い出が残っているし、大切な犬も無事だったので、これからまたがんばるよ」と言うジョンさんの話は、本当に悲しかったですが、そのひどい経験を乗り越えようしていると聞いて、とても感動しました。
私は以前、Forest Commssion (農林省)に勤めていたことがあり、1983年の大山火事‘Ash Wednesday’ もよく覚えています。その時も多くの犠牲者が出ました。今回の惨事で再認識したのは、環境破壊、地球温暖化の問題等、我々人間がどうやって自然と共存すればいいか、もっと考える必要があるということ。モノに溢れた豊かな社会で育ち、科学や技術が進歩しても、こんな悲惨な場面が避けられないのが現実です。
今後、このような山火事被災者を出さないために、大事な自然の美しさを取り戻すために、環境にやさしい取り組みを、本当に実践しないといけない! 我々の為だけじゃなく、次の世代のために。
私は今回の山火事で壊滅的な被害の出た、Marysvilleの4つ星コテージにステイしていました。セカンドワーホリを取るために3ヶ月の予定で行き、ガーデニングや改装中のコテージのペンキ塗りなどを手伝って3週間目でした。Marysvilleは、オーストラリアには珍しく山があり、緑が豊かで、ベーカリーだけを残して全滅してしまったというメインストリートも、近くを川が流れるきれいな街でした。私のステイ先も、リバーサイドコテージと名が付いていて、川や滝があり、野鳥の餌付けができるような場所でした。もう一人、日本人の男の子が一緒にステイしていました。
その日、午後3時半頃、その日本人の男の子が外から戻り、空がおかしいと言い出しました。その時、すでに煙が見えていました。写真を撮って市内の妹に送ったところ、すぐに逃げた方がいいと言われ、荷物をまとめました。ホストファミリーに相談すると、火事は車で1時間も離れた場所だから大丈夫だと言われました。
5時半頃に停電しました。ホストマザーが街から顔面蒼白で戻り、メインストリートでは、強風で木が倒れ、車が下敷きになって大騒ぎだと知らせてくれました。その日はピクニックに行く準備をしていたので、停電でちょうど良かったなどと話しながら、夕食を食べました。
先に食事を終えたホストファーザーが改装作業で使った梯子を片付けようと外に出て、あわてて戻って来ました。火事がそこまで来ていると言うのです。外に出ると、もう火の粉が飛んで来ていました。自分の部屋に用意していた避難用の荷物を取りに行く間もなく、車に乗せられました。ホストファミリーも財布さえ手にする間もなく、動転したお父さんはコテージの予約帳だけを抱えて逃げました。そんなもの、もう役に立たないのに。車に乗って振り返ると、もう隣の家が燃えていました。
車の外は5m先も見えないほどでした。4人乗りのワゴン車で逃げていたので、私と日本人の男の子は後部の荷台部分に座っていましたが、お尻の下が熱く、様子を見るために窓を開けていたため、車内にも煙が充満して、死ぬかと思いました。ファミリーの6歳の子供は夕食のチキンを握ったまま、泣き続けていました。今も、風が怖くて外に出たがらないそうです。
通常なら2時間で行けるメルボルンですが、あちこちで通行止めになっていて、一番近い街Yaeには行けず、Alexandraへ向かいました。そこに着いてホッとする間もなく、煙が迫ってきて、あとは北上するしかありませんでした。結局、Seymourを通って6時間かかってメルボルンに到着しました。
私は阪神大震災も経験していますが、地震で死ぬかと思ったのは最初の5分だけでした。今回の火事では、避難中も、ずっと死ぬかと思って、本当に恐ろしかったです。もちろん、ステイ先のコテージは燃えてしまったのですが、彼らは自然災害用の保険に入っておらず、コテージを抵当にして銀行からお金を借りていたそうで、これで破産だと泣いていました。私も最初は、燃えてしまったパソコンなどのことを考えて、へこんでいましたが、Marysvilleの惨状が明らかになるにつれ、逃げ出せて本当に良かったと感じています。
ビクトリア州は、長年の旱魃で、今回のように経験豊かな地元の人でも判断を誤るような山火事の危険が高まっています。旅行中に山火事に遭ったら、ラジオを聴いたり、近くの町の警察署や、人の集まる店などで正確な情報を得ることが大切です。基本的には、どんなに煙が遠くても、避難することをお勧めします。その際の服装はできるだけ、化学繊維を避け、綿を着ることです。
●被災地の情報、身の守り方などが知りたい場合は、
Web:
www.dse.vic.gov.au/dse/index.htm もしくは、
www.fireready.vic.gov.au/
●Victorian Bishfire Information Line (VBIL)
Tel: 1800 240 667
Web:
www.cfa.vic.gov.au/incidents/vbil.htm
●日本からの寄付については、オーストラリア大使館「ビクトリア州の森林火災について」のページをご覧ください。
Web:
www.australia.or.jp/seifu/newscentre/bushfire.html
2009年2月20日付